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―クウェー川鉄橋探訪記―

戦場にかける橋」という映画をご存じでしょうか。例え観たことがなくとも、おそらく多くの人々は1度はその題名を耳にしたことがあるでしょう。この映画は1957年にイギリスの映画監督であるデビッド・リーンによって描かれ、アカデミー賞をはじめ、多くの賞を獲得しました(戦前、ハッリウッドで最も人気のあった日本人俳優、早川雪舟が出演していることでも有名ですよね)。

 この映画によって一躍有名になった「戦場にかける橋」の本当の名前はクウェー川鉄橋。タイはバンコクから約100km西へ行ったところ、クウェー・ノーイ川とクウェー・ヤイ川の合流地点にあるカンチャナブリーという町にあります。クウェー川鉄橋とは、泰緬鉄道にかかる橋梁のひとつです。

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かつてはビルマまで続いた線路
泰緬鉄道とは、タイのノーンプラードゥクとビルマのタンビュザヤを結ぶ、総全長415mの鉄道です。第二次世界大戦中の1942年から1943年にかけて、日本軍によって建設されました。当時、ビルマ戦線への軍需物資の海上輸送が困難になっていた日本は、それにかわる陸上補給路確保のために泰緬鉄道の建設に着手したのです。
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クウェー川鉄橋を横から眺める
この鉄道の建設には、マラヤやスマトラ・ジャワで捕虜となったイギリス、オーストラリア、アメリカ、オランダなどの連合軍兵士と、アジア人一般労働者(中国、インドネシア、ビルマ、マレーシア、インド、シンガポール、タイ)が動員されました。文献によってその人数にはばらつきがあり、連合軍捕虜が3万人とも5万人ともいわれ、また、アジア人一般労働者は10万人以上といわれています。
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日本軍が持ち込んだというC56車両
泰緬鉄道の建設に要する時間は5年とも8年ともいわれていましたが、日本軍は、戦況の逼迫にともなって当初の計画よりも工期の短縮をはかったので、泰緬鉄道は約1年というはやさで開通しました。泰緬鉄道が「死の鉄道」などと言われるのは、そのような工事のせいで多くの犠牲者が生まれたからであり、熱帯のジャングルの奥地での疫病や過酷な労働による死者は、連合軍捕虜が1万とも1万6千とも、あるいは、アジア人労働者が3万とも10万とも、また、日本人の死者も約1000人あったといわれています。
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最初のクウェー川鉄橋は木造だった
泰緬鉄道の建設に使用された枕木やレール、またはそこを走る車両などは、日本が進駐したアジアの各地から持ってこられたものでした。また、運行する列車の数が少ないのをカバーするために、車両に物や人を三段重ねに載せて運ぶという、三段輸送という方法がとられていました。しかし、線路が軟弱で、しばしば脱線事故が起こりました。
1944年12月ころから連合軍の空爆が激しくなり、その格好の標的となったクウェー川鉄橋は、何度も爆破されました。初めは木造だった橋も、そのうち鉄の橋がかけられるようになったそうです。
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鉄橋の上でお土産を売っている
現在のクウェー川鉄橋は、戦後あらたに修復されたもので、橋は歩いて渡ることができます(もちろん無料です)。橋の近辺には多くの土産もの屋がならんでいます。当時の泰緬鉄道は、今はカンチャナブリー-ナムトク間で、タイ国営鉄道によって運行されており、垂直に切り立った岩壁にはりつくように運行する列車はスリル満点というわけで、良い観光ルートとなっています。

YouTube戦場に掛ける橋予告編


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